2012年7月29日日曜日

苦行者シッダールタの日常風景


脳内には明確に車輪と重ね合されるような構造が存在し、その事実をシッダールタは知っていた。そう私は前回書いた。今回はその根拠を述べよう。

6本スポーク状に仕切られた脳内

当時、シッダールタが生活していた北インド一帯では、死者を葬る際には風葬が一般的だった。特別に身分のある場合は火葬が行われていたようだが、一般には人里からやや離れた森の中、その特定の場所を墓場とし、地面の上に布にくるんだ遺体を放置し、腐るに任せていたようだ。この様な森を屍林と呼ぶ。

そしてシッダールタの様に正統バラモン教から外れたサマナと呼ばれる修行者たちは、この様な屍林の周辺で修行をするのが常だったという。

パーリ経典マジマ・ニッカーヤに属するマハシーハナーダ経(大獅子吼経)の中に、シッダールタの6年間に及ぶ苦行期間の生活実態が詳細に語られている。

あらゆる社交を絶った徹底した孤独行、段階的に極限まで進められた断食行、様々な肉体的苦行など、その修行の過酷振りがまざまざと筆写されている。

そこには、サマナは屍林に打ち捨てられた死体を包んでいた布を身にまとう(これが袈裟の起源)、夜には死屍の白骨を枕として眠る、と言う事も語られている。この期間、シッダールタの日常の中に、常に身近に死体があった、そう考えて間違いないだろう。

一方で、仏教の瞑想修行について基本的な流れを記述したサティパッターナ・スッタと言うパーリ経典の中には、面白い観想法が書かれている。

頭の中で解剖学的なイメージとして全身を様々なパーツへと腑分けしていく不浄観と呼ばれる瞑想法、そして死体が少しずつ腐っていき、ついには単なる骨屑の山になってしまうプロセスを墓場で観察し、執着を離れ無常を悟るという瞑想法だ。

これらは当時のサマナ達によって一般的に行われ、シッダールタ自身も経験した厭離の観想を仏教が取り入れたものなのだろう。スシュルタ外科医学の素養があったシッダールタは、単なるイメージではなく、ひょっとしたら屍林で積極的に死体の解剖実習まで行っていたかも知れない。

つまりシッダールタは、6年間の苦行期間中ただ死体の近くで生活していただけではなく、まざまざと人体の構造について解剖学的に観察する機会を持っていた、と言う事になる。

実はこの様な古代のサマナ達に非常に近い生活を行っている修行者の集団が、現代インドにも生き残っている。それがナーガ・サドゥと呼ばれる人々だ。彼らは基本的に苦行者シヴァ神を奉じる流浪の出家者たちであり、人里離れた山中の庵に住み、あるいは遊行・巡礼し、経済発展著しい現代インド社会において、大いに異彩を放っている。

これらサドゥやサマナと呼ばれる人々の修行生活形態は、アーリア人以前の先住民の古層文化に由来すると言い、非常にプリミティブな狩猟採集民のシャーマン的な伝統に根ざすとも言う。

このナーガ・サドゥの文化要素の中では、髑髏と言うものがとても重要な位置を占めている。彼らが奉じるシヴァ神は髑髏の首飾りを付けていると言われ、実際に髑髏を瞑想オブジェクトとして使用している修行者もいるらしい。

更に面白いのは、サドゥの中でもカーパーリカと呼ばれる異端の者たちだ。彼らは髑髏で作ったお椀を日常使用し、飲食に用いているという。そしてこのカーパーリカの語源となったカパーラという言葉が頭蓋骨を表すと同時にボウル、すなわち鉢(お椀)を表す事から、古代インドにおいて、少なくないサマナ集団がこの頭蓋骨でできた鉢を食器に使っていた事が想像できる。それはひょっとしたら托鉢でも使用されたかも知れない。

頭蓋骨(カパーラ)の器で飲食する

パーリ仏典の中では、これらカーパーリカに近いサマナ達を外道と非難する記述が見られる事から、シッダールタ自身が苦行時代にこの様な習慣を持っていたかどうかは断言できない。けれど、彼の身近には、まず間違いなく、頭蓋骨の鉢を使用するサマナ達が普通に生活していた事が考えられるのだ。

頭蓋骨から鉢を作る場合、上の写真の様に頭頂部の丸い部分をある程度の深さで切り離し、逆さにして使う訳だが、これはおそらくそれほど難しくない作業によって可能になる。眼窩の上からほぼ一直線に横に走る縫合線を楔の様なもので壊していけば、比較的簡単に加工ができると思われるからだ(もちろん私は経験がないが)。

眼窩から真横に伸びる縫合線を切ると器になる

当時、ほとんど無一物に近いサマナ達が頭蓋骨加工用に鋸を持っていたとは考えにくいので、この事実は重要だろう。

そして頭蓋のドームを切り離してカパッと蓋をあけると、もし脳みそがすでに腐ってなくなっていたならば、下の写真の様な頭蓋底の形が露わになる。脳と言う軟組織だけではなく骨という腐らない硬組織にも車輪は刻まれていたのだ。

頭蓋底に刻まれた放射状6分割とずれた軸穴

シッダールタがこの頭蓋骨の鉢を使っていなかったとしても、カーパーリカが鉢を作った残りの頭蓋底を彼が目にする機会は、少なからずあっただろう。

ここで面白いのは、この頭蓋底には6本スポーク様の仕切りだけではなく車軸の穴まで存在し、それが中央からかなりずれてしまっている事だ。この点については稿を改めて詳述したい。

日常的に屍林のそばで生活し、骨の山を褥として眠り、解剖学的な不浄観・死体観の瞑想を行い、髑髏を観じそれを身に着け加工して飲食の鉢として使用するサマナ達を間近に見ていたシッダールタが、この頭蓋底の形、そして大脳底部の形を見て知っていた可能性は極めて高い、そう私は判断している。

大脳底部には頭蓋底に対応した区分がある

そしてひとたびこの形を見てしまったならば、インド人たるシッダールタとしてはこれを車輪と車軸に重ね合さずにいなかった。そう私は考えている。


これまでに紹介した解剖学的画像は、ネット上で『大脳 頭蓋骨 Skull などのキーワードで検索し発見していった物だ。発見に至るまでに一体何枚の画像をチェックし、どれだけの時間を費やしたか自分でもよく覚えていない。

その不毛とも思える孤独な作業のさなか、「オレハイッタイナニヲシテイルノダロウ・・・」と、ほとんど「ワタシハドコ?ココハダレ?」的な、クラクラと眩暈がするような呆然自失に陥った瞬間も一度や二度ではない。しかし、大げさに言えば、この地道な忍耐こそが科学というものなのだ。

どんなに馬鹿らしく見える仮説でも、そこに真実の一条の光が差すと信じるならば、全力を挙げて論証に突き進む。この私の作業に興味を持っていただける方は、今しばらく脳と頭蓋骨の話におつきあい戴きたいと思う。

何故なら、私たちの心とは、正にこの頭蓋骨に覆われた脳において現象するからだ。そしてシッダールタは、その事実を誰よりもよく知っていた。この一見馬鹿らしく見える作業が、実はシッダールタの思考プロセスそのものであることが、追々明らかになっていく事だろう。


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2012年7月14日土曜日

シッダールタと外科医学


これまで私は、脳は車輪であると書き綴ってきた。

しかし、脊髄・脳幹が体内の須弥山であり車軸なのはともかく、脳はどう見ても車輪には見えない。それはブロッコリーのこんもりした蕾か、木の樹冠か、あるいはある種のマッシュルームか、そんな風にしか見えないと言う人も多いだろう。かくいう私もその一人だった。

だが、脊髄と脳幹(スシュムナー管)が体内の須弥山であり車軸であるならば、大脳以外に車輪に相当する器官は存在しない。この仮説を元にネット上で数百枚に及ぶ画像を精査した結果、私は明確な証拠を発見した。

大げさではなく、その瞬間、私は戦慄を禁じ得なかった。

今回は最初にその画像を見てもらおうと思う。

6分割された大脳。上が顔。中央矢印部分に
脳幹がつながり、その周囲が辺縁系だ。

これは眉間の上、ちょうどアジナー・チャクラのあたりからやや斜め下に向けて頭部をスライスしたCT画像だが、ここには明確に6つの区分が見て取れる。

まずは真ん中で左右脳半球を分ける正中線。そして左右それぞれに前頭葉、側頭葉、後頭葉の3つで計6分割。脳幹がつながる中央からその区分は放射線状に仕切られ、多少いびつだが、見事に6本スポークの車輪を形作っている事が分かるだろう。

もちろんシッダールタは、この解剖学的事実を知っていた。

そして、この形が、アーリア人のラタ戦車の車輪と、インダスのチャクラ文字とも重なる事に思い至った時、この偶然の符合は様々な連想を可能にしていく。


 
脳構造とインダスのチャクラ文字とアーリア人の車輪
この三者が重なり合うのは、本当に偶然なのだろうか?

CTなんぞ持たない古代インド人がどうやってこの様な内部構造を『見る』事ができたのか、という当然とも言える疑問に対しては、下の画像を提出したい。これは脳と脳幹を丸ごと頭蓋内から摘出し、裏から見た姿だ。

底部から見た脳と脳幹。下に並ぶのは小脳。

中心から放射状に六分割された丸い脳、その中心から棒状に突き出る脳幹。シッダールタにとって、正にヴィジュアル的なリアリティとして、脊髄・脳幹は車軸であり、大脳・辺縁系は車輪だったのだ。

だからこそ、前回書いたように、
輪廻する苦悩の車輪から解脱して、車軸であるプルシャ・アートマンの悟りに至るためには、同じ車輪である大脳・辺縁系から離脱して、車軸である脊髄・脳幹の身体呼吸意識に止住するアナパナ・サティこそが正しい道になる。
という判断が成立した訳だ。

彼が、そのような解剖学的な知識を持っていた根拠として、前回スシュルタ外科医学について取り上げた。スシュルタ医学の祖師として崇められるダンヴァンタリはベナレスに住まうクシャトリアの王だった。

そもそも何故武士階級であるクシャトリアに外科医学が発達したかと言えば、実戦的かつ実践的なニーズから、武術と軍医学が一体となって治療術が大成されたと考えるのが合理的だ。

これは外科を意味する原語のSalyaが元々鏃(矢じり)を意味し、身体に入った異物(例えば戦士が受けた矢じり)をメス(矢じりの様な)で摘出する手術から始まった、という点からも裏付けられる。

当時の北インドには、大きく二つの文化圏が存在していた。ガンジス川の上流域、現在のデリー周辺に地盤を持つ純度が高いアーリア系の農村文化圏と、ガンジス川の中流域、現在のベナレス周辺でドラヴィダ系やモンゴロイド系の先住民にアーリア系移民が混じり合って築かれていた商業都市文化圏だ。

デリー周辺では保守的なバラモンを頂点とした封建的な身分差別社会が形成され、商業は賤業として卑しめられていた。けれどもリベラルな中流域のコスモポリタンたちは自由経済を尊び、都市の繁栄を謳歌していた。その都市文化を支えていたのが、クシャトリア達が持つ武力による統治能力だった。

日本の歴史で言えば、織田信長が楽市楽座を布告して商業の発展を促したのと同じような状況だったと考えれば分かりやすい。

シッダールタは、その同じガンジス川の中流域に、小なりとは言えクシャトリア王国の王子として生まれた。帝王学の一環としてクシャトリアの軍医学、スシュルタ外科医学の基礎を一通り身に着けていたとしても、不思議ではない。また、王子だったシッダールタにとっては、御典医としての医師と関わる機会も多かった事だろう。

パーリ仏典には、これはシッダールタが悟りを開いた後の話だが、ジーヴァカという名医が開頭手術を行ったという記述が存在する。このジーヴァカはブッダのサンガともかかりつけ医的な親しい関係にあった様で、この辺りも、外科医学と縁の深いクシャトリアつながりを想定すると理解しやすい。

この時ジーヴァカは、脳外科手術によって腫瘍の様なものを摘出したらしいのだが、これもそもそも正常な脳の構造を知っていなければ、異常を摘出する事などできない。そう考えれば、当時すでに、一通りの脳解剖学的知識が確立していたと判断できるだろう。ひょっとすると機能論的認識もある程度存在したかも知れない。

医者と言えば、時代や場所を問わず、当代随一の科学者であり知識人である。これら医学者との関わりを通じて、シッダールタが科学的知識と合理的思考法を身に着けていた事は、まず間違いないだろうと思う。この点に関しては、中村元博士なども同様の見解を述べている事は注目に値する。

そして、クシャトリアという武士階級にはもうひとつ、武術という科学の体系が存在する。その名をダヌル・ヴェーダと言う。

私はケララ州で世界最古の伝統武術と呼ばれるカラリパヤットを数年に渡って取材してきたが、彼らの知識体系の中で特筆すべきものは、アーユルヴェーダという療術のシステムと、マルマンと呼ばれる急所の知識だった。

前者はスシュルタの系譜を引いた軍医学の流れとケララ土着の薬草学が合流したものだ。後者はおそらく、遊牧民だったアーリア人が家畜動物を自由に制御する技術から戦場の武術へと発展した、そう私は考えている。

現代でも、例えばモンゴルの遊牧民は、牛などの大型家畜を屠殺するときは、ある種の関節技を駆使し抵抗をさばいて四肢を縛り、できるだけ苦しめずにしかも自らも安全なように、第一級の急所である延髄、すなわち呼吸中枢を破壊して瞬殺する。

それはもちろん戦場において敵を倒すためにも、第一級の急所になる。特に諜報活動や暗殺などには必須の技術だったろう。戦士としてのシッダールタが、延髄という呼吸中枢の存在を知っていたとしても、決して驚くべきことではない。

古代の戦士とはある意味、治療も含めて肉体の構造と機能に関するエキスパートだった、と言っても過言ではないのだ。

しかし、若い頃から医学と親しい関わりを持ち、武術の急所として延髄が呼吸中枢である事を知っていたとしても、あのような、ふつう現代の一般教養人ですらあまり知らない『脳内の車輪構造』などという解剖学的事実を、本当にシッダールタは知っていたのだろうか。そういう疑いもある意味もっともだと思う。

だが、シッダールタが悟りを開く以前、その生活史の中には、正にまざまざと脳の解剖学と向き合う濃密な時間が存在していた。

それが6年間の苦行期間だ。


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2012年7月11日水曜日

身体の中の須弥山世界


万有世界の中心車軸をブラフマンと見立て、転変輪廻する現象界を回転する車輪に見立てる。

実は仏教的な文脈の中にも、この様な輪軸の思想と造形は脈々と受け継がれている。
それが、須弥山(メール山)の世界観だ。

倶舎論によれば、大宇宙であるところの虚空にぽっかりと気体でできた風輪が、その大きさは文字通り宇宙大の広がりを持って浮かんでいる。その上に太陽の直径の六倍ほど、800Kmを超える直径を持つ液体の水輪が浮かび、その上に同じ直径で固体の金輪が浮かんでいる。金輪の上は塩水の海によって満たされ、その周囲を囲むように鉄囲山が取り巻いている。

広大な海の中心には須弥山が聳え、その周りは七金山によって環状に囲まれている。その周囲にはやや離れて四つの島大陸があり、南側にある閻浮提(えんぶだい)が私たちの住む世界だ。島の底は海中で金輪の表層とつながって、その金輪の地下深くに地獄界がある。須弥山には帝釈天(インドラ)や梵天(ブラフマー)を始めとした神々が住み、その中腹を太陽(日天)と月(月天)が回っているとい

須弥山は車軸であり、現象世界は車輪である

上の図版はネット上で見つけた大まかな概念図に過ぎないが、仏教の姉妹宗教とも言えるジャイナ教の寺院に実在する須弥山(メール山)モデルを見つけたので、下に紹介しよう。

ジャイナ教寺院のメール山(スメール)

これらヴィジュアル的に見れば明らかな様に、この須弥山の思想は、シヴァ・リンガムと同じように、疑いもなくヴェーダやウパニシャッドに見られる輪軸の世界観の延長線上にある事が分かるだろう。

それはつまり、神や仏が住まう車軸としての須弥山(万有の支柱ブラフマン)とその周りに展開する車輪としての現象世界(プラクリティ)、という構図だ。

詳細は
を参照。

そして実は、ここが面白いところなのだが、インド思想には、現象する世界(大宇宙)をマクロ・コスモスと捉え、私たちの身体を小宇宙ミクロ・コスモスと捉え、両者を重ね合わせてアナロジーで考察すると言う思考の枠組みが存在する。

これは個我の本質であるアートマンが実はブラフマンと同一である、というウパニシャッドの思想とも深い関わりを持っている。

それが、ヨーガ・チャクラの世界観だ。

ヨーガの身体観では、私たちの身体に重なるようにして目に見えない霊的微細身が存在するという。そこにはプラーナが流れる大小のナディ(脈管)が想定され、背骨と重なる中心的な脈管であるスシュムナー管に貫かれる形で、会陰部から頭頂部にかけて7つの霊的センター『チャクラ』が存在している。

ヨーガ・チャクラは体内の車輪だ

そして、このスシュムナー管の周りをらせん状にイダーとピンガラー管が取り巻いており、このイダーは月の回路を、ピンガラーは太陽の回路を意味し、中央のスシュムナー管は須弥山に擬せられるという。これは体内に須弥山世界の構図がそのまま再現されている事を意味する。

万有の支柱=ブラフマンがマクロ・コスモスの車軸であるならば、身体の中心にあってそれを支える背骨もまたミクロ・コスモスの車軸に他ならない。

世間に流布しているヨーガ・チャクラ図を見ると、各チャクラの円盤面が正面を向いて描かれる事がほとんどだ。そのため私たちはつい錯覚してしまうのだが、実は本来のチャクラは背骨(スシュムナー管)を車軸に見立てた時に車輪となるように、地面に対して水平に存在している(それはリンガに対するヨーニの関係と同じだ)。

スシュムナー管に貫かれたアナハタ・チャクラ
その関係性は体内の車軸と車輪を表している


だがヴィジュアル的に見て、盤面を正面に向けた方が美しいために便宜的にそう描かれるのだ。これは上のアナハタ・チャクラ図を良く見れば、ひと目で確認できる事実だろう。

詳細は
を参照。

ヨーガ・チャクラはタントラ・シャクティの思想に根ざし、シヴァ・リンガムの造形・思想とも関わりが深いが、これらは時系列的に見ればすべてシッダールタの時代から遥か後世に顕在化したものだ。

しかし、基本的な身体観である『身体の中には車軸と車輪が存在し、それはブラフマン輪軸世界観のミニチュア版である』という思想の原型は、すでにシッダールタの時代には確立しており、それは医学・解剖学的な裏付けを元にした上で、シッダールタ自身も一般的な常識としてわきまえていた、そう私は考えている。

それを具体的に言えばすなわち、
身体内部の車軸とは、背骨とそこに内在する脊髄(+脳幹)であり、車輪とは、頭がい骨とそれに内在する大脳である。
という事になる。

これが、この論考を支える二つ目の前提になる。

もちろんこの身体観は、先に触れた、静的な車軸と動的な車輪というラタ戦車の原風景、そして静的なブラフマン=プルシャと動的なプラクリティ=輪廻する現象世界という世界観と完全に対応している。

棒状の脊髄(+脳幹)は非情動性の『静かな』車軸のファンクションであり、辺縁系より上の大脳は様々な情動と共に躍動し『回転する』車輪なのだ。




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2012年7月10日火曜日

車軸としてのブラフマン


以前このブログで、新幹線0型車両の輪軸、なるものを掲載した。

車軸を立てた車輪はインド思想の核心だ

それは上に再掲したように車軸が垂直に立った姿だったが、実際は私たちが普通にイメージするように、車輪が地面に対して垂直に立ち、車軸は地面に対して水平に伸びている姿で、新宿西口のとあるオフィスビルの玄関口に飾られているものだ。

その写真を偶然ネット上で発見し、何か感じるものがあってパソコン上に保存した私は、ある時、誤ってこの画像を90度回転させてしまった。その結果現れた姿が、この車軸が垂直に立ち上がった、輪軸の構図だった。

インド世界について、ある程度知っている人がこの写真を見れば、誰しもが思い出すだろう造形がある。それがシヴァ・リンガムと呼ばれるシヴァ神の御神体だ。私も写真を見た瞬間にこれを思い出して、文字通り「アッ」と声にならない声を発していた。

シヴァ・リンガムは輪軸の顕われ

当時の私は、ある文脈の中で「何故マハトマ・ガンディはいつも杖を持っているのか?」というなんとも素朴な疑問を持ち、「それは世界の支柱として三界を支えるヴィシュヌ神を象徴する聖なるダンダ(棒)だからだ」という仮説に至っていた。


だがその時は、このダンダや世界の支柱が意味する本当の意味が理解できてはいなかった。その意味を発見する決定的なヒントになったのが、正にこのシヴァ・リンガムの様に見える新幹線0型車両の輪軸、との出会いだったのだ。

シヴァ・リンガムは二つのパーツによって成り立っている。ひとつは男性最高神シヴァを、その男根で象徴したリンガと呼ばれる短い柱状のもので、もうひとつがシヴァの配偶神である女神シャクティを、ヨーニと呼ばれる女陰で象徴する円盤状の部分だ(実際はゴームカという排水溝がつくので印象は少し変わる)。


一般にシヴァ・リンガムは石を刻んで作られ、先に立てられたリンガに下から貫かれる形で、ヨーニが上にはめ込まれる。

そして、このリンガとヨーニが合体したシヴァ・リンガムが祀られる寺院の神室は、シャクティ女神の子宮を表し、寺院自体が、騎乗位で夫シヴァにまたがり交合するシャクティの身体を表している。

何故、騎乗位なのか? それはほとんど動かずに受動的にいるシヴァに対して、能動的に躍動するシャクティのダイナミズムを象徴している。そしてその背後には、ヒンドゥ・サーンキャ哲学の二元論が潜在していた。

サーンキャ哲学、それはヴェーダの六派哲学のひとつで、紀元前に実在した聖仙カピラを師祖とし、西暦200年頃に著された『サーンキャ・カーリカー』を聖典とする。ヨーガやアーユルヴェーダなどとも密接に関わり、現代にいたるヒンドゥ的人間観、世界観に最も重要な基盤を与えている思想だ。

それによれば、純粋精神であるプルシャはそれ自体静的であり、輪廻する物質的な現象界とは無縁だ。プルシャに対置する根本原質プラクリティこそが物質的現象界の展開力であり、プルシャの観照によって両者が結び付く事で世界は展開する。そしてプラクリティから展開した自我意識(日常的な心)が、純粋意識のプルシャへと目覚める事によって、人は解脱するという。

プルシャは同時にアートマン(真我)であり、私たちの世俗的な、それゆえ多くの執着や苦悩にまみれている心が、本来の純粋精神であるアートマンへと回帰することで、輪廻の束縛から解放され真の救済を得るのだ。

もちろんこの前提になるのが、車軸と車輪のアナロジーであるのは言うまでもない。ラタ戦車の車台に固定され、それ自体は動かない車軸はプルシャであり、そこに嵌められてダイナミックに躍動する車輪はプラクリティを表している。だからこそ、現象世界は輪廻するのだ。

そしてこのプルシャとプラクリティの関係性を、そのまま発展させたのが、シヴァ・リンガムになる。だからこそ、シヴァは静的であり、シャクティはダイナミックに躍動するのだ。

詳細については
を参照。

実は、聖なる根本的実存=ブラフマンを車軸と見立て、現象世界を車輪と見立てる思想は、シッダールタが生まれる遥か以前からインド世界に普遍的に浸透していた。もちろんその背後にはアーリア人のラタ戦車の車輪と、インダス先住民系の聖チャクラの思想があった。

それは大宇宙の根本原理であるブラフマンを万有の支柱(車軸)スカンバに見立て、現象する大宇宙(この世界)を車輪(ブラフマ・チャクラ)に見立てる思想だ。

これは現存するものではアタルヴァ・ヴェーダにおける、

「至高なるブラフマン、その足元は地を、その腹は空を、その頭は天を支え~、このスカンバは広き六方の世界を生み出し、宇宙の全てに浸透する。」

「偉大なる神的顕現(スカンバ)は万有の中央にありて、~ありとあらゆる神々は、その中に依止す、あたかも枝梢が幹を取り巻きて相寄るがごとく(辻直四郎訳)」

と言う表現に顕著に表れている。

少し後になって現れるシュヴェタシュヴァタラ・ウパニシャッドの中には、より鮮明な形で車軸であるブラフマンと車輪である現象世界、すなわち真実在たるブラフマンと幻影虚妄としてのプラクリティの関係性が言及され、優れた瞑想によってリシ(修行者)は真実在であるブラフマンとひとつになれる事が説かれている。

アタルヴァ・ヴェーダとシュヴェタシュヴァタラ・ウパニシャッド、そしてサーンキャ哲学の時代考証については、ブッダ在世の以前であるか以後であるか様々な見解に分かれているが、少なくともこの輪軸思想の基本的な枠組みに関しては、すでにブッダ在世の当時には十分に普及しており、シッダールタ自身もこの様な思想背景の中に生まれ、生き、そして死んでいったのは間違いないだろう。

「静かなる車軸をプルシャ=アートマン=ブラフマンと重ね合わせ、躍動する車輪を輪廻する現象世界プラクリティ=人間的生存=『心』と重ね合わせる基本的な思考の枠組み」

このマインド・セットがブッダの瞑想法を方法論的に導くための、ひとつの重要な柱だった。これが本ブログの論考を支える第一の前提となる。