以前このブログで、新幹線0型車両の輪軸、なるものを掲載した。
車軸を立てた車輪はインド思想の核心だ
それは上に再掲したように車軸が垂直に立った姿だったが、実際は私たちが普通にイメージするように、車輪が地面に対して垂直に立ち、車軸は地面に対して水平に伸びている姿で、新宿西口のとあるオフィスビルの玄関口に飾られているものだ。
その写真を偶然ネット上で発見し、何か感じるものがあってパソコン上に保存した私は、ある時、誤ってこの画像を90度回転させてしまった。その結果現れた姿が、この車軸が垂直に立ち上がった、輪軸の構図だった。
インド世界について、ある程度知っている人がこの写真を見れば、誰しもが思い出すだろう造形がある。それがシヴァ・リンガムと呼ばれるシヴァ神の御神体だ。私も写真を見た瞬間にこれを思い出して、文字通り「アッ」と声にならない声を発していた。
シヴァ・リンガムは輪軸の顕われ
当時の私は、ある文脈の中で「何故マハトマ・ガンディはいつも杖を持っているのか?」というなんとも素朴な疑問を持ち、「それは世界の支柱として三界を支えるヴィシュヌ神を象徴する聖なるダンダ(棒)だからだ」という仮説に至っていた。
詳細についてはチャクラ思想の核心2.ガンディ翁と聖なるダンダを参照。
だがその時は、このダンダや世界の支柱が意味する本当の意味が理解できてはいなかった。その意味を発見する決定的なヒントになったのが、正にこのシヴァ・リンガムの様に見える新幹線0型車両の輪軸、との出会いだったのだ。
シヴァ・リンガムは二つのパーツによって成り立っている。ひとつは男性最高神シヴァを、その男根で象徴したリンガと呼ばれる短い柱状のもので、もうひとつがシヴァの配偶神である女神シャクティを、ヨーニと呼ばれる女陰で象徴する円盤状の部分だ(実際はゴームカという排水溝がつくので印象は少し変わる)。
一般にシヴァ・リンガムは石を刻んで作られ、先に立てられたリンガに下から貫かれる形で、ヨーニが上にはめ込まれる。
一般にシヴァ・リンガムは石を刻んで作られ、先に立てられたリンガに下から貫かれる形で、ヨーニが上にはめ込まれる。
そして、このリンガとヨーニが合体したシヴァ・リンガムが祀られる寺院の神室は、シャクティ女神の子宮を表し、寺院自体が、騎乗位で夫シヴァにまたがり交合するシャクティの身体を表している。
何故、騎乗位なのか? それはほとんど動かずに受動的にいるシヴァに対して、能動的に躍動するシャクティのダイナミズムを象徴している。そしてその背後には、ヒンドゥ・サーンキャ哲学の二元論が潜在していた。
サーンキャ哲学、それはヴェーダの六派哲学のひとつで、紀元前に実在した聖仙カピラを師祖とし、西暦200年頃に著された『サーンキャ・カーリカー』を聖典とする。ヨーガやアーユルヴェーダなどとも密接に関わり、現代にいたるヒンドゥ的人間観、世界観に最も重要な基盤を与えている思想だ。
それによれば、純粋精神であるプルシャはそれ自体静的であり、輪廻する物質的な現象界とは無縁だ。プルシャに対置する根本原質プラクリティこそが物質的現象界の展開力であり、プルシャの観照によって両者が結び付く事で世界は展開する。そしてプラクリティから展開した自我意識(日常的な心)が、純粋意識のプルシャへと目覚める事によって、人は解脱するという。
プルシャは同時にアートマン(真我)であり、私たちの世俗的な、それゆえ多くの執着や苦悩にまみれている心が、本来の純粋精神であるアートマンへと回帰することで、輪廻の束縛から解放され真の救済を得るのだ。
もちろんこの前提になるのが、車軸と車輪のアナロジーであるのは言うまでもない。ラタ戦車の車台に固定され、それ自体は動かない車軸はプルシャであり、そこに嵌められてダイナミックに躍動する車輪はプラクリティを表している。だからこそ、現象世界は輪廻するのだ。
そしてこのプルシャとプラクリティの関係性を、そのまま発展させたのが、シヴァ・リンガムになる。だからこそ、シヴァは静的であり、シャクティはダイナミックに躍動するのだ。
詳細については
を参照。
実は、聖なる根本的実存=ブラフマンを車軸と見立て、現象世界を車輪と見立てる思想は、シッダールタが生まれる遥か以前からインド世界に普遍的に浸透していた。もちろんその背後にはアーリア人のラタ戦車の車輪と、インダス先住民系の聖チャクラの思想があった。
それは大宇宙の根本原理であるブラフマンを万有の支柱(車軸)スカンバに見立て、現象する大宇宙(この世界)を車輪(ブラフマ・チャクラ)に見立てる思想だ。
これは現存するものではアタルヴァ・ヴェーダにおける、
「至高なるブラフマン、その足元は地を、その腹は空を、その頭は天を支え~、このスカンバは広き六方の世界を生み出し、宇宙の全てに浸透する。」
「偉大なる神的顕現(スカンバ)は万有の中央にありて、~ありとあらゆる神々は、その中に依止す、あたかも枝梢が幹を取り巻きて相寄るがごとく(辻直四郎訳)」
と言う表現に顕著に表れている。
少し後になって現れるシュヴェタシュヴァタラ・ウパニシャッドの中には、より鮮明な形で車軸であるブラフマンと車輪である現象世界、すなわち真実在たるブラフマンと幻影虚妄としてのプラクリティの関係性が言及され、優れた瞑想によってリシ(修行者)は真実在であるブラフマンとひとつになれる事が説かれている。
アタルヴァ・ヴェーダとシュヴェタシュヴァタラ・ウパニシャッド、そしてサーンキャ哲学の時代考証については、ブッダ在世の以前であるか以後であるか様々な見解に分かれているが、少なくともこの輪軸思想の基本的な枠組みに関しては、すでにブッダ在世の当時には十分に普及しており、シッダールタ自身もこの様な思想背景の中に生まれ、生き、そして死んでいったのは間違いないだろう。
「静かなる車軸をプルシャ=アートマン=ブラフマンと重ね合わせ、躍動する車輪を輪廻する現象世界プラクリティ=人間的生存=『心』と重ね合わせる基本的な思考の枠組み」
このマインド・セットがブッダの瞑想法を方法論的に導くための、ひとつの重要な柱だった。これが本ブログの論考を支える第一の前提となる。
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