インドでは、聖なる河で沐浴をする。
早朝、たとえば母なるガンジス河の岸辺に向かい、
ガートを降り、河に入り、腰ほどの高さまで水に浸かり、陽の出を待つ。
やがて曙光の煌めきと共に彼は合掌し、鼻をつまんで息をこらえ、
垂直にしゃがみこんで、頭まで水に浸かり、そして立ち上がる。
垂直にしゃがみこんで、頭まで水に沈み、そしてまた立ち上がる。
この動作を、2回3回と少し足早に繰り返したのち、
立ったまま息ごらえを解いて、大きく息をつく。
そして生まれたての太陽に向かって再び合掌した彼は、
そこでガヤットリー・マントラを唱えるのだ。
体性感覚とは、脊髄・脳幹・頭頂葉を貫く一本の軸柱だ
母なる聖河の水中に身を没している姿は、
母胎の羊水に包まれた胎児をあらわしている。
水面を突き破って、頭から空気中に飛び出す姿は、
産道を通って誕生する瞬間をあらわしている。
空中に出て呼吸を開始する姿は、
正に産声を上げる新生児の姿をあらわしている。
そこでおぎゃーという泣き声の代わりに詠われるガヤットリー・マントラ。
それは『覚り(神)の光が与えられますように』という祈り。
正式には、ガヤットリー・マントラは108回唱えられ、
煩悩の数と同じだけ唱えられたこのマントラの誓願によって、
瞬間、人の心は煩悩から解き放たれる。
再開される呼吸はアナパナ・サティであり、
静かに皮膚を流れ落ちる滴は、
体性感覚のヴィパッサナーを現している。
インドでは日々の生活の中で、常に様々な瞑想実践がシミュレートされている。
シッダールタが苦行の森を捨て、ナイランジャー河の畔で沐浴した時も、
まったく同じシミュレーションが働いたのだろう。
そして彼は、その作用機序に気がついた。
そして、彼は菩提樹の下に禅定した。
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